今年のNHK大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』で再び注目を集めている田沼意次。彼は本当に金権政治家だったのでしょうか?江戸時代の政治構造に深く関わった彼の「素顔」に迫ります。
田沼意次とは何者だったのか?
田沼意次(1719〜1788)は、徳川幕府の老中として活躍した人物です。しかし、その名前を聞くと「賄賂」「金権政治」といったイメージがつきまとうのも事実。彼は本当に悪人だったのでしょうか?
伊達重村の昇進工作:賄賂の真相?
仙台藩主・伊達重村が「少将」から「中将」への昇進を望み、幕府の要職にあった松平武元や田沼意次に働きかけた事例があります。当時の記録によれば、伊達重村は側近を通じて、彼らの用人に接近し、様々な「工作」を行ったとされています。これは賄賂なのでしょうか?
仙台藩の周到な戦略
伊達重村は、古田良智という側近を松平武元の用人・宮川古仲太、そして田沼意次の用人・井上寛司に接近させました。さらに、江戸時代のロシア研究書『赤蝦夷風説考』を著した工藤平助も、松平武元の取次・那波牧太に接触しています。これは、仙台藩が情報収集と交渉のために周到な戦略を練っていたことを示唆しています。
田沼意次の評価:悪政か改革か?
田沼意次の政治は、単なる金権腐敗と断じることはできません。彼は、商業の発展を促進し、経済の活性化を図るなど、様々な改革も行いました。しかし、その手法が批判を浴び、結果として「悪政」というイメージが定着してしまった側面もあります。彼の政策は、時代の変化に対応しようとした結果だったのかもしれません。
大河ドラマをきっかけに、田沼意次という人物を多角的に見つめ直し、江戸時代の政治や社会について深く考えてみてはいかがでしょうか。