太平洋戦争末期の長岡空襲から80年。新潟県長岡市では、1489人の犠牲者を悼み、平和を祈る式典が執り行われました。1945年8月1日の夜、米軍の焼夷弾爆撃により市街地の約8割が焼失した悲劇から80年。遺族、地元小中学生ら850人が参加し、「アオーレ長岡」で厳かに式典が開催されました。
空襲体験者の訴え:命の尊さと平和のありがたさ
式典では、空襲を体験した平澤甚九郎さん(93)が当時の様子を語り、「空襲で亡くなった同級生たちの苦しみを思うと胸が痛む。世界各地で戦争が絶えず、多くの命が失われている今こそ、命の尊さと平和のありがたさを真剣に考えるべきだ」と訴えました。参加者からは「想像を絶する体験だが、当時の話を聞き、思いを巡らすことで、自分たちがどうするべきか考えていきたい」との声が聞かれました。
柿川灯籠流し:炎から逃れた人々の鎮魂
市内を流れる柿川では、夕刻より灯籠流しが行われました。80年前、空襲から逃れようと多くの人々が柿川に飛び込みましたが、炎は川にまで迫り、命を落とした方も少なくありません。灯籠には平和への願いが込められ、川面を静かに流れました。この『柿川灯籠流し』は、犠牲者への慰霊と平和への願いを込めて毎年実施されています。
花火と平和学習:記憶を未来へ繋ぐ
空襲があった午後10時半には、信濃川河川敷から白一色の花火が打ち上げられ、犠牲者を追悼しました。また、2日と3日には、長岡空襲の犠牲者を悼むとともに、2004年の新潟県中越地震からの復興などを願う花火大会が開催されます。市内の小中学校では、空襲の記憶を風化させないため、「平和学習」が行われています。長岡の地で起きた悲劇を胸に、平和への祈りを新たにする日となりました。