甲子園の記憶:横浜vsPL学園、伝説の延長戦
1998年夏の甲子園、横浜高校とPL学園が繰り広げた延長17回の死闘。松坂大輔投手が当時の記憶を鮮明に語りました。Number Webの記事から、その激闘の舞台裏に迫ります。
序盤の苦戦とPL学園の対策
松坂投手は試合序盤、PL学園打線につるべ打ちに遭い、3点を失いました。「初回からストレートも変化球も全部を打たれた感覚」と当時を振り返ります。PL学園が松坂投手の速球に絞って対策を練っていたという話も耳にしたそうです。
2回には、カーブをセンター前に運ばれ、犠牲フライなどで失点を重ねました。ボークやフィルダースチョイスなど、自らのミスも重なり、苦しい展開となりました。
PL学園のサイン盗み疑惑
試合中、PL学園の平石洋介三塁ベースコーチが松坂投手の球種を読んでいたという報道もありました。ストレートなら「行け行け」、変化球なら「狙え狙え」と叫んでいたというのです。松坂投手は「僕のクセなのか、良男の構えだったのか…」と真相を語っています。
終盤の反撃と延長戦へ
試合は中盤、横浜高校が反撃を開始します。4回には小山選手の2ランホームラン、5回には松本勉選手の2点スリーベースヒットで同点に追いつきました。松坂投手も徐々に調子を上げ、ギアを上げていきました。
7回からはPL学園もエースの上重聡投手を投入し、試合は緊迫した終盤戦、そして延長戦へと突入します。松坂投手は「あの試合がもし第2試合とか第3試合だったら、3安打くらいに抑えて完封していたんじゃないか」と冗談交じりに語りました。
伝説となった試合
延長17回、250球を投げ抜いた松坂投手。横浜高校は見事勝利を収め、甲子園の歴史に名を刻みました。この試合は今もなお、多くの野球ファンに語り継がれています。
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