田沼意次: 大河ドラマで話題!異例の出世と賄賂政治の真相とは?

今年のNHK大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』で注目を集める田沼意次。渡辺謙さんが演じる意次は、どのような人物だったのでしょうか?今回は、田沼意次が異例の出世を遂げた背景と、彼が「賄賂政治家」と評された理由に迫ります。

異例の出世を遂げた田沼意次

田沼意次は、8代将軍・徳川吉宗の後継者である徳川家重の小姓としてキャリアをスタートさせました。父・意行の死後、17歳で家督を継ぎ、その後、旗本が叙任される最高位の官位である従五位下にまで昇進します。延享2年(1745)には、家重が将軍職を継承したことに伴い、意次も将軍の小姓となり、翌年には小姓頭取に就任。家重からの信頼が厚かったことが伺えます。

幕府政治の中枢へ

小姓としての仕事は、主君の身辺の世話や話し相手が主でしたが、意次は延享4年(1747)、小姓組番頭格となります。このように、田沼意次は着実に幕府内での地位を確立していったのです。

「賄賂政治家」と評された背景

田沼意次が「賄賂政治家」と評されるようになったのは、彼の時代に賄賂が横行したことが大きな要因です。当時の幕府は「大きな強権をもつ小さな政府」であり、産業経済政策などの民政部局が不足していました。平和な時代が長く続き、経済が発展するにつれて、民政的な施策が必要となってきましたが、幕府は対応しきれていませんでした。

幕府の体質と松平定信の「ネガキャン」

田沼時代の賄賂横行は、幕府の体質にも起因すると言えます。また、松平定信による「ネガキャン」も影響を与えたと考えられます。しかし、背景には、変化する社会に対応しきれない幕府の構造的な問題があったことは否定できません。

大河ドラマをきっかけに、田沼意次という人物について深く知ることで、江戸時代の政治や経済、社会情勢への理解も深まるはずです。

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